ここが地獄


__並行世界(パラレルワールド)。いわゆる「もしも」の世界の話だ。
 「もしも」は物語の題材にしやすい。海軍が悪である世界で海軍元帥を倒す話や、男女の権限が弱く、オカマが政治の実権を握っている世界の話、太陽が何者かに盗まれて朝が来ない世界で、光を照らすために冒険に出る話。そんなことを、しょっちゅうカヤに話していたものだ。
 並行世界にはロマンが詰まっている。本当にあるのなら、一度は行ってみたいと思う。ひょっとしたら、何でもありの新世界では……。



「……ふわァ」
 目を覚ますと、部屋はずいぶん明るかった。どうやら長いこと寝ていたようで、男部屋にはウソップ自身以外の姿は見えなかった。
「ん? 今日はブルックが起こしに来てねェな……」
 不思議に感じたが、そんな日もあるのだろうと割り切って部屋の外に出る。
すると、ブルックではなく、ロビンがバイオリンを弾いているのに気が付いた。
「あら、ゆっくりしていたのね」
 ロビンは平然とした様子でバイオリンを弾く。その音色は暗く重く、聴く者を自殺に追いやりそうだった。
「……ロビン、急にどうしたんだ」
 ウソップが怪訝そうに聞くと、ロビンは穏やかな笑みを浮かべてこう答えた。
「私が音楽家だからよ」

 ロビンはああ見えて、少し常人とズレたところがある。きっと何かの心理的なストレスから思い込みをするようになったのだろう。ウソップはそう結論づけて、甲板で何やら銃を打つ練習をしているチョッパーに声を掛けた。
「チョッパー、ちょっと用事があるんだが……」
「どうした、ウソップ? ……大丈夫か?」
 ウソップの顔は青ざめていたのか、チョッパーは心配そうな声音だった。それにウソップは安心して、ロビンが少々疲れ気味だということを説明する。すると、チョッパーは少し考えてから、こう言った。
「……うーん、それはナミに相談した方がいいと思うぞ」
 それは意外な返答だった。
「ナミ? 何でナミに相談するべきなんだよ」
 女の悩みは女に、ということだろうか。しかし、チョッパーの次の言葉は、ウソップの想像の90度上を爆走した。
「だってナミは船医だから」

 ロビンが音楽家でチョッパーが狙撃手。ふたりがおかしいのか、自分がおかしいのか葉判断のつきにくいところだった。とりあえず言われたとおり、船医であるらしいナミに相談することにする。
 途中で船大工らしく重そうな木材を抱えるガイコツや、考古学者らしく巨体で古書を読むサイボーグを見かけ、ウソップは頭痛を感じた。
 医務室の扉を開けると、眼鏡をして白衣を着たナミが回転イスに座っていた。
「あら、すりきずなら3000ベリー、ねんざは一万ベリーよ。今ならアバラは一本五万ベリー!」
 ナミは早口にそう言った。医者にしてはいけないタイプだ、とウソップは頭を抱える。
「……で、アンタ顔色悪いけど……。用件は?」
「……信じてもらえるか分からねェが……」
 ウソップは悩みながらも、自分は並行世界に紛れ込んだのではないかという話をする。ナミはうなずきながらそれを聞き、こう判断を下した。
「頭の病気は五十万ベリーってとこね」
 このときウソップは、船医チョッパーのありがたみを強く思い知った。

 溜め息を吐きながら部屋を出ると、戦闘員サンジが狙撃手チョッパーと組み手をしていた。女を蹴れないであろうサンジは、戦闘員としてちゃんと働けるのだろうか、という不安を覚える。
 ロビンの奏でるどんよりとしたクラシックは不安を掻き立て、叫び出したい気分になる。
「さっきからテメェはどうしたってんだよ」
 気に掛けたゾロが、ウソップに話し掛ける。彼の腕には記録指針が巻かれていて、この船の航海士であることを示していた。
「……時にロロノア君、次の島はどっちの方向にあるんだね?」
 ウソップがおそるおそる聞く。
「北だ」
 ゾロはきっぱりと答えたが、現在この船は太陽の昇っている方向に向かっている。一体この世界ではどうやって偉大なる航路を生き延びてきたのか、想像もつかない。
 
 ふと、ウソップは考える。そういえば、この世界での自分のポジションはどこなのだろう。
 隣にいる今にも折れそうな腕でハンマーを振るうブルックに声を掛けようとしたが、面倒なので事情を説明したナミに教えてもらうことにする。
「……まだ寝ぼけてんの? しっかりしなさい、アンタは船長よ!!」
 ナミは、今度は酷く深刻な顔つきで言った。
「……おれが、船長」
 船長といえば、昔からなってみたかったポジションだ。それをまさか、こんな珍妙な世界で遂げることになろうとは。あの強運のルフィですら、この世界の船をまとめるのは骨が折れそうだというのに。
「……ん? そういやルフィは?」
 気が付いてみれば、麦わら帽子の姿を見ていない。
「ああ、ルフィなら隣のキッチンで……」
 つまみ食いだろうか、と一瞬考えたが、すぐにそれは違うことに気が付く。なぜならこの世界で「料理人」がまだ登場していないことに気が付いたから。
 ドア越しに、この世の物とは思えないおぞましい異臭(もっとも、「狙撃手ウソップ」の存在する世とは違うのだが)がしてくる。ナミは呆れた表情をしているので、既に慣れているのだろう。
 そして、「料理人ルフィ」という恐ろしい者が医務室の扉を開けた時__



「うわああああああああ!!!!」
 悲鳴を上げながら、ウソップは目を覚ます。じっとり汗をかいていて、体は冷えていた。
 時間帯はまだ明るくなったばかりの頃で、普段ウソップが目覚める時間より少々早いくらいだった。
「どうしたウソップ!」
 叫び声を聞いたルフィが騒々しく男部屋の扉をあけ、ウソップのボンクを覗き込む。
 部屋の外からは美味しそうな朝食の匂いがし、ブルックのものらしい明るいロックが鳴り響く。どうやら、あの世界のことは夢だったようだ。
「よかった……」
 ウソップは安堵の息を漏らす。ルフィは訳が分からないと言いたげだったが、ウソップの無事を確認したので良いことにする。
「まァいいか。とにかくお前らメシだぞメシ!」
 ルフィが叫ぶと、まだ眠っていた男連中は身じろぎをする。
 ウソップはボンクから降りて、いつものように着替えを始める。黒カブトを手に取って、ついこう呟く。
「おれは狙撃手なんだよな?」
「? 勿論そうだぞ!」
 ルフィの力強い頷きに、ますますウソップは安心する。
「早くみんな着替え済ませろよ! メシが冷めちまう!」
 食い意地のはったルフィは、そう言ってキッチンへと向かう。
「それに、早く次の島に行きてェしなー」
 腕に巻いた記録指針を撫でながら。

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