はじめて挑んだ謀反戦

 最近推しているアイドルのCDが今日発売だから、いそいそと家を出ようとしたところで母さんに呼び止められた。
 「今から買い物に行ってくるから、掃除を頼んだわよ」なんて肩を掴まれて、玄関に引き戻される。チェックシャツとチノパンじゃ「ハロワに行く」なんて言い訳も使えず、常識人を自称する僕は渋々引き受けることになった。

 ニートのくせに、今日は皆揃いも揃って朝から出掛けている。一松と十四松は散歩からの野球コースだろう。カラ松は難解な言葉で何やら言っていたが、おおかた中古書店で一日中立ち読みをして過ごすつもりらしい。あのドライモンスターは行き先を告げずに家を出て行ったが、荷物が少なかったことからまさか登山などではあるまい。
 ……そういえば、おそ松兄さんはどうしているのだろう。
 そんなことを考えながら、掃除機の音を響かせる。ふと部屋の隅に視線をやれば、猫の毛やら薔薇の花びらやらがちらほらと落ちていることに気が付く。母さんの掃除機の掛け方は、いわゆる「四角い部屋を丸く掃く」方法だ。忙しい主婦の時間節約術なのだろうが、兄弟の中でも綺麗好きな方だと自負している僕は、それに無性に腹が立った。
 マスクとハタキとバンダナを装備して、汚れてもいいツナギに着替えて、棚や置物の埃を払う。そして1gの塵も残さぬよう、掃除機で吸い込んでいく。普段は掃除を母さんに任せっきりにしている僕だが、一度スイッチが入ると徹底的にやらなければ気が済まないのだ。以前、そんな僕を見ながらおそ松兄さんが「まったく、チョロ松くんはケッペキだね〜」なんて笑いながらぼろぼろとポテチを零していた記憶がふと脳裏をかすめて、ケツ毛が燃えそうになった。

「……まあ、こんなもんかな」
 一階の掃除を一段落させ、階段を上る。すると子供部屋の方から、なんとも間の抜けた笑い声が聞こえてきた。
「ぎゃははは! ……あ、チョロ松。……うわ、ダッセー格好してやんの」
 案の定、おそ松兄さんが床に寝転がりながら漫画を読んでいた。何がそんなに面白いのか、馬鹿みたいにけらけらと笑っている。
 母さん、僕じゃなくておそ松兄さんに掃除をやらせればよかったのに。そんな思いが一瞬浮かぶが、おそ松兄さんは「四角い部屋を三角に掃く」レベルのガサツさを持ち合わせているので、まあ僕か兄さんのどちらかにやらせるなら僕を選ぶよなぁと、小さくため息をついた。
「……兄さん、掃除機をかけるから十分くらい下に降りてて」
 僕は掃除機のプラグをコンセントに挿し、「あっちに行け」のジェスチャーをする。
 しかしおそ松兄さんは我関せずの姿勢で、相変わらず仰向けで漫画を読んでいる。
「え〜今いいところだから動きたくなーい!」
 おそ松兄さんはぺらぺらと漫画のページを捲りながら、こう続けた。
「このままさっさと掃除機かけちゃってよぉ。おれは別に音とか埃とか気にしないからさぁ!」
 そうしてへらりとした締まりのない笑顔を僕に向ける。こいつのこういうところ、ホントに大っ嫌い。
「お前が良くても僕は良くないんだよ。部屋の真ん中から隅まで完璧に綺麗にしたいの」
 僕は顔面を思い切り蹴り付けたくなる衝動をぐっとこらえて、それでも声に怒気をにじませた。
 けれどもおそ松兄さんは少しも動こうとせずに、こう言うのだった。
「あ〜、やだやだ! シコ松は相変わらずケッペキでシンケーシツだねぇ!」

 気付けば僕は力の限り、仰向けで無防備になっていたおそ松兄さんの股間を右足で踏みつけていた。
 長男ってだけで何調子に乗ってんの? 本来掃除をやるべきなのは予定のないお前なんだからね? 僕はできる限り早く済ませてCDと予約特典を取りに行きたいんだけど?
――そんな万感の思いを込めて踏んだ僕は、兄さんから思わぬ反応を得ることになる。
「ひゃんっ!?」
 おそ松兄さんは素っ頓狂な声を上げて、肩をすくめた。
「……え?」
 何、その声。何、そのリアクション。咄嗟のことに股に置いた右足を離せないでいると、靴下の裏がじんじんと熱を帯びてくるのを感じた。
 ふと視線を前に向けると、おそ松兄さんが必死に漫画で顔を隠そうとしている。けれどもその隙間から見える頬は、言い逃れのできないほど赤く染まっていた。
「……チョロ、ま、つ。足っ、はなせよ……」
 おそ松兄さんが震える声で訴える。
 しかし僕はおそ松兄さんの両手を掴み、股間を踏む足により力をかけた。
「――っああ!? な、なにすんだっ。チョ、ろ……っ!」
 ばさりと漫画がおそ松兄さんの胸元に落ちる。これで覆うものがなくなった兄さんの顔は、情けないほど眉が下がって口元がゆがんでいた。
 いつも馬鹿みたいな笑顔を浮かべていかにも余裕ぶっている長男の、焦りや困惑や羞恥のにじんだ表情。こんなのを見せられて、ここでやめろっていう方が無茶だよなぁ。
 日頃の恨みを晴らすチャンスだと、僕はおそ松兄さんの腕を締め付けるように握る。
「うわっ! ちょっ!? はなせってば! 痛ぇ!」
 おそ松兄さんは僕の手をふりほどこうともがいていたが、僕と目が合った途端にびくりと肩を震わせた。
「……え、なんで笑ってんの、お前。恐いん、だけど……」
 いけない。いつの間にか僕は笑みを零していたらしい。でもおそ松兄さんが大人しくなったのは好都合だ。恐怖を顔に浮かべるおそ松兄さんを眺めながら、僕は強弱をつけてリズミカルに局部を刺激する。
「う、ひぃっ!? あ、やめっ……!? ひぁっ!」
 おそ松兄さんの体がびくんびくんと弓なりに跳ねる。もう抵抗する気はないようだったので、僕は腕を固定していた手を離して、代わりに兄さんの足首を掴む。これで更に責めやすくなった。
「や、やだっ! なん、で!? ひっ! チョロ、まつ……っ! おこっ、て、る……? あぁっ!?」
 確かに初めは怒りの感情があったが、今はもうそんなことはどうでもいい。兄さんが情けなく喘ぎ声を上げてるのを見るのが愉しくて仕方がないんだよ。
「おそ松兄さんってマゾなの? 変態なの? 実の弟にちんこ踏まれておっ勃てちゃうなんてさぁ」
 がくがくと痙攣し始めるおそ松兄さんの目元にはうっすら涙が浮かんでいた。息は荒く、肌は紅潮しきっている。
「は……っ。ち、ちが……! おれ、マゾじゃ、へんた、いじゃ……な……っ! うぁあっ!」
 ああ、今はとってもみっともない顔をしてるよ、兄さん。鏡があったら見せてあげたいくらい。
「もうブリーフは先走りでぐちょぐちょなんでしょう? だってツナギまで染みてきてるよ? 引くわー……」
 そうして僕が蔑んだ視線を投げかけてやれば、おそ松兄さんは「ちが……違う、から……」とふるふると首を振ってしゃくり上げる。
 無様だなぁ。みじめだなぁ。哀れだなぁ。
 最後の一押しとばかりに、ねじ切るようにぐいと足を動かしてやれば、おそ松兄さんの体が大きくのけぞった。
「――――――〜っ!!?」
 どうやら盛大にイッたみたいで、僕が固定していた足首を離すと脱力したようにがくがくと体を震わせた。ずいぶん溜まっていたのかな、ツナギ越しでもはっきり分かるくらいに股間がぐっしょり湿っていた。独特のツンとした臭いと、じんわりとした熱さが僕の足の裏に広がる。誰かが帰ってくる前に換気をしなくちゃね。

……換気?


――――って、僕は一体何を!!?

 そうだ。僕は掃除をするためにこの部屋に来たのだ。邪魔なおそ松兄さんをどかそうとしていたのだ。それなのに、なぜなにゆえどうして僕は実の兄に足コキを……!?
 僕は慌てて窓を開けて、ハタキを持って、未だ横たわったままのおそ松兄さんに恐るおそる声をかける。
「……ごめん、おそ松兄さん。ちょっとだけ部屋を空けてくれない? なるべくすぐに済ませるからさ」
 しかしおそ松兄さんは、どうやら快楽の余韻が相当残っているようで、ぐったりと肩で息をしながら鼻声気味にこう言うのだった。
「……はぁ。……ばかじゃねーの? お兄ちゃん、立ち上がれないんだけど」



 これは全くの余談だが、僕はこの日掃除だけではなく洗濯もこなして母さんに大変褒められることになった。ただ母さんは「そのツナギ、おそ松が今日の朝に穿いてたと思ったけど」と不思議そうにしていたので、「あの馬鹿が昼間から飲んでたビールを零しやがったんだよ」ということにしておいた。一日中おそ松兄さんが赤い顔をしていた説明にもなったと思う。ちなみに僕の靴下もこっそり洗っておいたのだが、これについては特に気付かれなかったようだ。
 それからおそ松兄さんは少しの間、僕をからかったり軽口を叩いたりすることが減った。まあしばらくするといつものようにウザ絡みをしてくるようになったのは、あの奇跡の馬鹿らしい話であるが。
それでもあの日の午後に取りに行ったCDの予約特典のブロマイドを見るたび、少々心が痛むのであった。

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